AUGUST-SEPTEMBER,2003

26 September, 2003

電話とうゆうのは、なぜトイレ中と入浴中にかかってくるのか。

近頃となっては、ときめく相手からの電話もなければ、大金が転がり込む電話もないが、

もし、今、私が恋に悶える若者であったなら、携帯電話<命>だろうなと思う。

たとえ、電車内で「ご遠慮ください」とか「電源をお切りください」といわれようとも、

一生一代のラブコールなんだ、絶対に逃すわけないじゃないか。

そういえば、携帯電話のはじまりの頃、必死の形相でところかまわず電話にくらいついていたのは、

どう見ても不動産関係の方々であった。

電話ひとつで1億円が10億円になったかもしれない頃の話。よくわかんないけど。

自宅と職場の両方で、電話(有線)×2、ファックス×2、それにインターネット+携帯電話。

1億円が10億円になるわけじゃなし、こんなに持っていて、私の人生がどことどれだけつながっているというのだろう。

ささやかな幸せを目指すだけなら、これはどう考えても持ち過ぎだ。

「携帯電話を持っていて、ほんとうに良かったなあ」というときは、ないのである。

正直に言えば、電源切っといてよかったわあ、というときのほうが多いのである。

持っているくせして無責任だけれども。

便利と不自由は背中あわせだ。

断ち切りようのない関係の中で生きていくには、そのがんじがらめの中で、肥大する現実をもくもくと処理するしかないのかもしれない。

秋になってキンモクセイの香りが漂いはじめると、1回鳴って切れた電話を「彼からかも〜」と身悶えした16才のときなんかを思い出す。

当時、携帯電話があったなら、冷たく黒光りする電話(黒かったです、電話)の横でじーっと待ってる必要なんかなかったのだ。

だからと言って、それは無駄ではない。しみじみする思い出だ。

すこしずつ、その頃のいたいけな私は消えようとしているけれど。手中に残る関係や情報が本当は少ないという現実に背中を押されながら。


12 September, 2003

2年前の9月11日は韓国の大邱にいて、現地のアーティストたちとおされなバーで上等のワインを飲んでいたのだった。

翌日移動したソウルでは、アメリカ軍が駐留する南半分へ行くことができなかった。

宿で夜通しCNNを見ていた。ことの次第がわかるにつれ、私の中の悪意が疼き出すので驚いた。

喧嘩の仲裁にはいった優等生がとばっちりで怪我をして、翌日から真っ白な包帯をしてくるとゆうような、

偉いの偉くないの、痛みは誰の身の上に起ころうともいたわりあわなくてはならない、しかし体育やすむほどか、とゆうような。

ものすごく原始的な、幼稚な、思考停止的な、私だった、その時。

さらに、正義が戦争にすりかわる頃、私は、私の悪意があれをやりましたという気にさえなった。

大事件への素朴な悲嘆や怒りとは別に、こんなふうに、個々の思いが巨大な幻覚を生んだのではないかと、ねじくれながら落ち込んだ人々がいたはずだ。

国家というのは、幻覚なのではないか、宗教というのは、現実のパロディーなのではないかと。

幻覚とパロディーの混乱をかいくぐりながら、あらためて信じられるものは、個々の創造力だけだ。

それを諭してくれたのはアメリカではなかったか。

しかし、それは遠心分離器のような力のかけ方でもある。

通行止めの大混乱の中たどりついたソウルの焼肉店には、ひと盛り1キロある肉の皿を五つも十もたいらげる韓国の人々がいた。

いま2年前の今頃を思い出すにつけ、目に浮かぶのは、人々の豪快な食欲を飲み込んでいた焼肉店のもうもうたる煙だ。


06 September, 2003

忙中閑あり。不安だ。

洗濯物はたまっていないし、冷蔵庫の中身をセンスよく組み合わせて料理なんかもしてしまった。

捨てる本(稲川淳二とか)と保管する本(いしいいさいちとか)の分類もしたし、スネ毛も抜いた。

こういうときは、何か大事なことをし忘れているに違いない。

しかも、忘れていたい大事なことというのはたいがいイヤなことなので、ごっそりすべてが抜け落ちる。

このファイル何かなとあけてみたら、ものすごくイヤな仕事がずらずらと並んでいて、奈落の底に突き落とされる。

だから、不安だ。どうせやらなければならないに決まっているから、思い出すのが恐い。

というわけで、早く目が覚めてしまい、無意識の現実逃避=家事をする。

「激落ちキング」(スポンジ)で鍋や流しまで磨き、徐々にもたげる仕事の記憶と格闘する。

ついでに、台所に置いている「家庭の医学」など読んでしまって、ささいな症状に大病が潜んでいるなんて文に釘付け、

気持ちがどよんとする。ヒマはカラダに悪い。


04 September, 2003

記者発表が終わり、京都ビエンナーレはいよいよ近付いてくるのである。

11月下旬のフィンランド現代美術展(日本におけるフィンランド年事業というべき"FEEL FINLAND"の一環)の準備にも忙しい。

すべての仕事の準備は2年前に遡る。

2年前からこの秋に的を絞ってきたので、まるで数え年のように、私の中では自分がふたつ年をとった状態が続いてきた。

実際のところ、苦労が多いと精神的にふたつくらいあっと言う間に老けるのである。

いろいろなことに不勉強でいつまでもダメな私であるが、なんだかこの頃じじむさいことばかり言っている気がする。

ばばあを飛び越えて、じじいになった。

だからと言うわけではないが、しょぼいベランダのガーデニングにいそしみ、剪定バサミなどをふるっている。

だのに、木イチゴとアジサイの葉を、ショウリョウバッタが、いかにもうまそうに喰っているのを発見した。

近頃において、こんなに腹立たしいことはない。

仕事とか人間関係において、私は、ほとんど怒ることを知らない人間だ。

温和というワケではないが、どうもテンポがずれているようで、少したってからむらむらするのである。

が、ショウリョウバッタには瞬間に血がのぼったので、ベランダから突き落としてやった。

とはいえ、ショウリョウバッタなんぞ3階から突き落としても、なんてことはないのだ。

こういうささいなことにキレるわりには、なんだか効果の薄いことにのぼせるのが、ますますじじくさい。

早く冬を越えて、春になって、桜の下で乙女に戻りたいものだ。

そんなふうに、4月生まれの私は、心の中でまたまたを年齢を先取りして知らぬ間に老けるのである。

暑いけれど、日射しや風が秋めいてきた。長くなった夜、寝床で稲川淳二の「怪異談」なんて本を読んでいる。


24 August, 2003

暑いとなると限度を越える暑さが続く。

だから、できるだけものを考えないようにする。

8月になって海に計4日。大平洋の波にたわむれていると、頭がからっぽになる。

晴天の海では、目の前を千鳥の群れが飛んだり魚が跳ねたり。

海辺に漂着したちぎれたワカメや半分溶けたようなクラゲも、ああ美しい美しいと思う。

いつも行く海には浜茶屋なんかひとつもないから、余計な誘惑もなく、静かだ。

満潮を過ぎて干潮時刻になり、また満潮に向かう海に日がな一日つかって、

ただひたすら波を見て、乗って、しまいには目を閉じても波の形が見えるぐらい、ひたすら波に向かっているのである。

そうすると、京都に残してきた仕事の状況は何も変わらないのに、心の負担だけはどんどん軽くなってくるのですねえ。

そして、波が起こすマイナスイオンにまみれ、

テイクオフするときの脳内モルヒネだかなんだかのおかげで、

頭がパーな分だけ、食欲は増すわ良く眠れるわ、夏季の食費と体重も増すばかりなのである。

海にいる日は、何でもおいしい。魚肉ソーセージなんかも平気で食べる。

駐車場のおじさんにアイスをもらったり、チャリンコを借りて水着のままタバコ屋へ走ったり、ああ、夏休みですわ。

こういうときだけ、こんな夏休みがあと20回くらいあればよいのにと、

10代や20代のやつらをうらめしく思うのだ。

そこにずっとは住めない性分であるのはわかっているけれど、1ヵ月いられたらどんなに幸福だろう。

志摩地方では、夏、そこかしこの草むらに白百合が咲いている。

あまりに凛々しくて美しいので、ただうっとりと眺めている。


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