JUNE, 2002

June 19, 2002

 春からほとんど机にかじり付いてきたので、カラダがぎしぎししています。

 まだ老いるには早いでもハッキリ言って若くない、ことを実感する日々であります。

 先日ハリ治療のお世話になりましたが、足とか腰とかストレスなどのツボの他、

 先生に「更年期障害のほうは?」などとサラッとたずねられて、無いわ無いわそんなもんと思いつつも、

 聞くほうにとっては、聞いて親切、の年齢の患者であることはあきらかである。

 気持ちは萎えるけれど、どうしたって後戻りはできないのだから、

 年齢をさりげなく受け入れていくには、他人に外濠を埋めていってもらうのも手かもしれません。

 10代に筋肉を鍛え、20代に食生活を真面目に考えて良く眠ったので、自分では「老け」を先延ばしにできていると信じていますが、

 ああ、もうすでに影を踏まれている、という気分は、これまでに無い緊張感。

 気を抜いたら「老け」というか「老い」に先を越されるのでしょうね。

 といって、気を抜かないでいると、元気すぎてうっとおしい中年なんですね。

 人というのは、ほどほどに疲れて、物事の激しい変化に飽きはじめて、イイ味が出てくると、私は思っています。

 年齢を重ねた振付家のダンスは退屈で緩慢で、私だって居眠りをするのだけれど、

 この素晴らしい退屈は、カラダで何だってできでしまう20代には生み出せないのだと、別の感動も覚えます。

 そのうちやってみたいのは、受験勉強の頃にモチーフを3時間凝視してデッサンを仕上げたように、

 3ヶ月とか3年とか、若い頃なら気の遠くなるような時間の長さを、庭のすみっこや山の一点を眺め暮らして、

 文章で、最上の退屈を克明にスケッチをすること。

 今、私はサーフィンに無上の愉しみを感じていますが、これもまた、来る波来る波、ふたつとして同じ波のない海を、

 ケンカしながら波を奪い合う若者とは別の気持ちで、眺めるのに飽きないからかもしれません。

 ところで、ハリ治療の数日後の休日、おそるおそる今年はじめての海に入り、それでも去年より乗れて楽しい一日を過ごしました。

 忙しくて疲れて眠る夜などに、布団の中で海を思い描いて、波に乗るイメージトレーニングをしておいたのが、良かったのかもしれません。

 それなのに、波乗り後のあたりまえの筋肉痛も、もしや別の病ではないかなどとくよくよしたりして、

 やってることと考えることのバランスの悪さからして、私はうまく年をとれていないなあと思うのです。


June 05, 2002

 観光イベントのみならず、京都の5月は、美術の出来事も豊富でした。

 強い日射しの中、KYOTO ART MAP 2002 を巡ってくださった方々、ご協力いただいた方々に、お礼申し上げます。

 KYOTO ART MAPは、ギャラリーの役割について深く考えたり見聞できる良い機会です。

 ギャラリーや美術を巡る状況はあいかわらず芳しくありませんが、

 何かコトを起こすことは、当事者をまず元気づけます。

 この頃思うのですけれど、京都というところは、美術にとって、「土」は良く、手入れする人の気力も能力も豊富なのに、

 「水」と「肥料」が慢性的に不足している畑のようなものです。

 けれども、不足は工夫を促すし、あえて充分な水を与えなかったトマトが驚くほど甘いのと同様に、

 京都をベースに生まれる芸術も、美味と滋養を秘めていると思います。

 ストレスを解消するために、人は「笑い」と「熱狂」を求めると聞きます。

 サッカーと吉本だけに限らず、美術の良い作品にもそれらが必ずあります。

 しかも、一過性の、一時しのぎの「笑い」や「熱狂」ではなく、京都人がいうところの1000年級のそれらがあるとしたら、

 やっぱり、ココはおもろい土地だと思うのです。

 撒いても撒いても吸い込む水は、いわばお金。

 肥料となるのは、人々の、いま以上の美術芸術にたいする関心です。

 わだばトマトの茎になる。KYOTO ART MAP を終えた今、あらためて思うのであります。



  
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